くせっけデザインのブログ

くせっけの人に幸あれ。

「教えてください」と言える人は強いと思う。これからは特に。年齢に関わらず。

以前書いた「ちょっとすみませんと言えることは財産」という記事に少し関連するかもしれないが、真っ直ぐな気持ちで他者に「教えてください」と言える人はこれからの時代、年齢に関わらず強いと思った。

なんだかんだ社会には希望が溢れていると思う。いきなりオーバーな書き方をしたが、一般的に思われている以上に、人は基本的に人の役に立ちたいという想いを持っている気がしている。ピュアな動機で熱心に学びたいという姿勢で近づいてきた相手を遠ざける人は案外少ないと思うし、そんな人から学ぶことはない。

熱心に聞いて何かしらの気付きを得てくれるだけでも嬉しいし、その後、実際に行動してくれた時の嬉しさといったらない。教える側も相手の反応や自分が口から出した言葉から学びを得るので、win-winだ。

僕は自分の数年前の行動を振り返って後悔していることがあるのだが、自分の持っていない引き出しを持っている方を目の前にしたとき、「何も知らないやつ」と思われたくない一心で質問が声にならなかった。もったいないことをしたなと思う。自分が見えていない世界のことは知らなくて当然なのだから、「なんで〇〇しようと思ったのですか?」「〇〇ってどういったものなんですか?」という1丁目1番地の質問をピュアにしてみたら得られるものがたくさんあったはずだ。相手が真摯な方であるならば、質問の中身より興味を持ってくれたことに対ししっかり向き合ってくれるに違いない。

このようなことを書くといかにも目上の人に学ぶといったイメージを持ちそうだけど、そうとも言えないと思う。特に人は歳を重ねるとともにプライドが高くなってしまい、人に教えを求めるハードルは上がっていく。しかし、一度頭に入れた知識だけで生活できる時代ではないし、自身のいる業界の外側なんて知らないことだらけだ。その知識の違いが強みになることもあるし、変化が激しいからこそ学び続けなければいけない。

言ってしまえば僕はすでに10代の流行り物に疎い。だから大人であっても若い世代の方、もっと言えば小学生のお子さんにすら学ぶことがあるということだ。

僕はもともと上下関係というものが嫌いだ。その仕組みが組織運営にあたり必要なケースがあることは承知しているので必ずしも悪いとは言えないし、効果的に作用することもあると思うが、僕に向いていないだけだ。

相手がどんな目上の方や年下の世代の方であろうとも、知らないことは学び、知っていることは伝える。この姿勢はいくつになっても崩したくないと思っている。

僕が憧れている大好きな大人たちは、相手を選ばず話をしっかり聞く人という共通点があるし、その人の周りにはいつも人がいた。

歳を重ねるごとに大変なことは増えるかも知れないが、この心は失わずにいたい。