最寄りの図書館は比較的新しく設備が綺麗ということもあり、平日・休日問わず多くの方が利用している。
新興マンション地帯にあるため、学生が勉強したりビジネスマンが作業をしたりするスペースが近隣の図書館より明らかに多く用意されており、その席は端末で予約して確保するシステムだ。
予約時間が入れ替わるチャイムが鳴った直後、僕の正面の席に座っていた学生さんのもとに次の時間帯を予約している60代くらいの女性が近付いて来た。しかし学生さんは作業に夢中で時間にも女性にも気付いていない。
そこで女性が一言。
「ちょっとすみません。次の時間、使わせていただきます。とっても集中しているところごめんなさいね。もし(他の席に)移るのが面倒だったら私、別の場所探すからね。」
学生さんは「あ、すみません。他の席に移りますね。」と言って去っていった。
当たり前のやりとりのようで、目の前で見ていた僕はとても心に刺さるものがあった。
女性の声かけが、自然体かつ相手に配慮した温かいものだったからだ。
親しみのある言葉、抑揚、表情。
知らない相手に後ろから声をかけ、席を移ってもらう。それも一切相手を不快にさせずに。これが人間らしさであり今後誰しも必要になる力ではないか。そう思ってしまった。
きっと女性が持っていたのは想像力だ。
「この子は一生懸命勉強していたんだろう」
「いきなり後ろから話しかけたら驚かせちゃうかも」
推測でしかないが、この想像力がたとえ他人であっても優しくコミュニケーションを取る秘訣なのではないかと感じたとともに、心底尊敬した。つい女性の顔をまじまじと見てしまっていた僕に気付いた女性と、照れ臭そうに会釈を交わした。
いつも思うことがある。
通勤電車で混み合っている車両の奥からホームに降りたい時、身体をぶつけながら人をどかして移動する方が多いことを。降りようとする本人はもちろん、周囲の方もしかめっ面だ。
「すみません」と声をかければサーっと道を作ってくれることをこれまで何度も経験したから不思議でしょうがない。ジェンダー平等の時代にそぐわないかもしれないが、謙虚なコミニュケーションが取れない方は中年の男性の方が多いような気がしている。会社のストレスや立場があって、謙虚になれないのだろうか。
誰も通せんぼしたいと思っている乗客はいないと想像力を働かせて、「ちょっとすみません」と言えれば、みんな気持ちよく譲り合えるのに。
ストレス社会。公共の場でスマホをいじってそれぞれが「個の空間」を作り上げている現代においては、そこに柔らかくタッチすることのできる人間らしさは生きる上できっと大きな財産になる気がしている。
僕も常に意識したいと思った。