くせっけデザインのブログ

くせっけの人に幸あれ。

赦されて今の僕がある。

格好を付けている訳でもなんでもなく、赦されて今の僕がある。

今でこそ少し過剰とも言えるほどに他者の気持ちをおもんばかるようになったが、これまでずっとそうだったかと言えば、決してそうではない。人を傷付けたり迷惑をかけてきた。
その都度自己嫌悪に陥ったりもしたのだが、寛大にも赦されてきた。

他者を赦すということはチャンスを与えるということだと思う。ただし赦した本人に返ってくる類のものではなく、赦された側が自分で気付きを得て社会や次の世代に恩送りする可能性がある。それは本人に任せるということでとても尊い行為だ。

数年前の話。内臓が燃えるような自己嫌悪に苛まれたことがある。それでも赦された。反省して、前を向こうと思った。この頃から大分ポジティブになった。もらったチャンスを社会に還元することが目的だとハッキリした。そして僕の場合、自分が楽しみながら興味のままに行動することが大きなパワーを生み出すことがわかったので、その特性が活かせる環境を探してはエネルギーを出力している。

年々ギブの精神が培われていると思う。
それは英才教育によって立派な人間に育ったからでは一才なくて、猛烈な反省の上にあるものだ。それでも今みたいな自分に変化できたことをとても嬉しく思っているし、きっかけとなった(僕が傷付けてしまった)方々には申し訳ない気持ちと大きな感謝が同居している。

自信を持つのは大切。だけど自信を持てるのはこれまで多くの方に支えられて、赦されてきたからという謙虚な気持ちを絶対に忘れてはいけないと、あらためて思った。