『市場価値』という言葉が嫌い。値付け不可能な人間になろう。
「何がすごいか表現できない」人
僕には一方的に師匠として尊敬している人がたくさんいる。
その一人に、魅力を形容できない不思議な方がいる。おそらく誰から見てもすごい人だと思うのだが、そのすごさが簡単に説明できない。一言で表現することができないのだ。
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やり手営業マン
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大手企業の幹部
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アイデア豊富なデザイナー
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頭のキレる起業家
このようなキャッチフレーズを付けることができない。
その方は一年前まで、誰もが知る大企業でテクノロジーと人間の未来について考える仕事をしていた。更には本業に並行してコミュニティを運営したりさまざまな活動をされていたが、その時点では、しいて言うなら「〇〇(企業名)のAさん」と表現できた。
現在はサステナビリティやコミュニティ、人材育成をテーマにフリーランスとして場所や所属に捉われず活動をされているから、なおのこと難しい。知り合って4年ほど経つ今でも、だ。
この頃よく聞く嫌いな言葉。
さて、タイトルにも付けたが、『市場価値』という言葉がある。僕はこの言葉が嫌いだ。
あたかも社会の中で一人の人間がどの位置にいるかランク付けするような表現に思えるからだ。その人らしさに目を向けず、変えが効き、スキルありきで順位を付けるような社会になったら寂しい。個の時代への変化を狭い視野で捉えて、一方向から人を判断していないだろうか。
資本主義的な考え方にはピッタリな表現なのかもしれないが、人の魅力は一方向だけで評価できるものではないと言いたい。何ができるかも大切だが、どんな人かという軸も同じくらい大切だ。
形容できないという魅力
そういった意味では、上に書いた僕の師匠がカッコよく見える。さまざまな場所で活躍をする姿は『市場価値』という一方向の視点では形容できないからだ。
一言で職業を表せないものの、個性が抜群に光っているから、その人の存在自体が一つの職業という表現がしっくりくる。わかりやすさを重視する『市場価値』とは一線を画している。
僕も、そういった人になりたいと強く考えるようになった。
個性が輝く時代へ
間違いなく個性が輝く時代になってきていると思う。
でも、それはスキルによって個々がランク付けされるのではなく、その人らしさが魅力になり、誰かの価値になる。多様な価値が無数に存在する。そういった時代が来ると信じている。
他者との「違い」を楽しみ、尊敬・尊重し合いながらそれぞれの「らしさ」が輝くワクワクな未来を夢見て、この記事を締めたいと思う。