くせっけデザインのブログ

くせっけの人に幸あれ。

社会人大学生の喜び。「ハードルを与えられる」ことの尊さ

大学の授業は毎回全身全霊で取り組むので、
受講後はヘトヘトになる。

昨年から京都芸術大学の通信学部で
グラフィックデザインを学んでいる。
趣味と実益を兼ねて、30歳にして初めて
大学に通い始めた。

通信の大学というとほとんどの時間を
一人で黙々と勉強することになりそうな
イメージだが、京都芸大は適度に
スクーリングがあり現役のデザイナーから
イカロリーな指導を受けることが
できるので、身になるだけでなく
精神的な高揚にも繋がっている。

直近ではオンラインにて
アニメーション制作の授業を受けた。

After Effectsというソフトを使い、
最終的には受講者がそれぞれ30秒程度の
アニメーションを制作し提出するという内容。
見慣れないソフトの操作に戸惑いながらも
なんとか課題を完成することができた。

授業は土日に行われるのだが、
ここ最近たびたび仕事のピークと
重なることが多いので何度も
「キャンセてしまおうか・・・」と
魔が刺した。

それでも毎回受講して
よかったという感想で終わる。

大学に通って特に感じるのは、
「ハードルを与えてもららうこと」は
とても喜ばしいということだ。

すごく受け身のように聞こえる
かもしれないが、普段自分からはなかなか
チャレンジしない、もしくはしたいけど
腰が重いようなものごとに向き合える
機会を得られる価値は大きなものだと感じる。

上記のデザインソフトに関しても
仕事にしているならともかく、
自分からまるまる2日間
向き合う時間を取ることはしないし、
スポーツ選手のように自らリミットを
課すこともなかなか難しい。

そんな自分でもハードルを与えてもらうことで
思考が深まる実感を得ている。
これこそが学ぶことの楽しみだと
現時点では感じている。

フリーランスになって以降実感しているが、
「やらされてみるとできる」ことは案外多い。

やってこなかったことはできない
という具合に自分で無意識のうちに
心理的な壁を作っていたことが
多かったのだと気付いた。
無意識にチャレンジする機会を
失うのは残念なことだ。

応用できない経験なんてないんだなと
確信を持てるようになりつつある。

ハードルを与えてもらい、
ヒーヒー言いながら取り組む。
それにより能力が積み上がっているという
感覚こそが社会人大学生の喜びなのかも
しれないなと思う。
仕事をしていれば、学んだことを
すぐに実践するチャンスに溢れている。

だから、ハードルを与えてもらうことは尊い

特にそれが自分に関心のある分野なら尚更だ。