くせっけデザインのブログ

くせっけの人に幸あれ。

妻が僕のパソコンにコーヒーをかけなかったら、デザインを始めてなかった。

デザインに興味を持ってきっかけは二つある。
振り返ると、人はさまざまの偶然により形作られているなぁとしみじみ思う。大したストーリーではないのだけど、不思議な偶然だ。

 

①市役所の研修で見やすいチラシづくりを習った。

講師の方は元編集者の方で、研修当時はNPO法人を立ち上げてこども食堂などを主催する団体のために見やすいチラシを作るといった活動をしていた。

(ここから数年後僕が始めたボランティアもこの方の活動を参考にした。)

研修でフィードバックを受けた僕は初めて自分が作っていた広報用チラシがとんでもなくダサいということに気付かされた。当時は学生ボランティアを集める仕事をしていたのでデザインは肝心だった。ダサいだけならともかく、ダサいということは読まれない、すなわち伝わらないという意味だ。これはムダである。

もう一点衝撃を受けたことがある。それは、当時の僕はデザインというものはセンスが必要であって、自分にはできるものではないと決め付けていたことが間違いと知ったことだ。一定の知識を頭に入れるだけでも見栄えのするものができることを知った。もちろん一流のクリエイターは同時にセンスも備えているのだが、仕事の一部で使うレベルは知識で満たせることを実感した。

この経験は僕にとって大きなもので、一見して、「あの人がすごいからできるんだ。」「自分にはムリ」と最初から諦めるのでなく、知識を入れることである程度のことができるのではないかとまず考えられるようになった。

教わったのはデザインの四原則が中心だったが、素人でもわかりやすい説明と何とも言えないニヒルな雰囲気が面白い講師だった。

ちなみにこの日をきっかけにデザインに興味を持つようになり、更には大学に通い始めるほど影響を受けたこともあって、研修以来面識はない講師の方に5年ぶりにお礼のメッセージを送ろうとネットで調べていたところ、すでにお亡くなりになられていた。心から、感謝を申し上げます。

②妻がパソコンにコーヒーをかけた

僕は人と話すことが一番好きなのだが、もともとパソコンでカタカタ作業することも好きだった。ちょうど①と同じ時期、何か形になる趣味を始めたいと考え、目を付けたのは映像編集だった。それまでもフリーのソフトで何度か編集をしていたのだが、せっかくやるならと気合を入れて当時5万円以上した映像編集ソフトmac OS用「finalcut pro X」を購入した。

少しずつ操作に慣れ、仕事に使う告知用映像や退職される方へのビデオメッセージを制作した。素人ながら撮影の企画も行い、編集を考えて撮影内容を決めるのが楽しかった。

ソフトの操作もある程度慣れてきた購入3週間目くらいに、僕の映像編集熱は収束することになった。
ある日家に帰ると妻が絶望的な顔をしてへたり込んでいる。話を聴くと僕のパソコンに誤ってコーヒーをぶちまけてしまったこのこと。

電源はうんともすんとも反応しなかった。
その時僕は、ショックが大き過ぎると逆に優しくなれることを知った(妻の凹み方が尋常じゃなかったのもあるが)。

こうして映像編集ソフトが使えなくなった僕は、当時の上司が触っていて気になっていたAdobeIllustratorを練習してみることにした。

パワポ以上に表現の幅が広がり、更にデザインを楽しめるようになった。市役所では見やすいチラシや資料づくりの講座の講師をしたり、自身が担当する事業のフライヤーづくりで新しい技術を練習した。更に前述したようにデザインの奥深さに触れたい想いから京都芸術大学に入学したりもした。

今ではそれが本業の一部になっているのだから面白い。何かやりたいと思い続けたことは良かったが、偶然が味方してくれたことも大きいと思う。

講師の先生と妻にあらためて感謝。