くせっけデザインのブログ

くせっけの人に幸あれ。

妻に「質問力が高い」と褒められたのでそれはなぜかを考えてみる。

この頃、巷では聴く力が大切だとよく言われる。

自分のストーリーを雄弁に語れる人も素晴らしいが、コミュニケーションはキャッチボールなので相手の言葉を引き出せる人も素晴らしいと思う。吉田豪さんのような名インタビュアーにスポットライトが当たるのも納得だ。

先日、僕が妻の親友であるシンガーソングライターの方と話している様子を見ていた妻が後になって僕に「質問力が高い。」と褒めてくれた。自分ではまったくそんな気がしていないので少しポカーンとしたが、そう思ってくれた原因は何かということを自分なりに考えてみた。

 

【推測その1】人に興味があるから

僕は少し好奇心が旺盛な方だと思うが、特に人に対する興味が強い。

市役所時代もさまざまな考え方を持つ人たちと出会ってきて、立場が違えばここまで考え方が異なるものか!と衝撃を受けた。また、その人が歩んできた人生が考え方に直結していて、誰しもオリジナリティを持っている点がすごく面白いと感じてきた。この興味は年々強まっている。

目上の方、年下の方問わず僕が知らないことをたくさん知っている。たから質問したくなってしょうがないのだ。

【推測その2】コミュニケーションが苦手だった時代の反動があるから

以前に書いた「教えてください」と言える人は強いと思う。これからは特に。年齢に関わらず。の中でも書いたが、僕は少し前まで自分の持っていない引き出しを持っている方を目の前にした時、「何も知らないやつ」と思われたくない一心で質問が声にならなかった。もったいないことをしたなと思う。

自分が見えていない世界のことは知らなくて当然なのだから、「なんで〇〇しようと思ったのですか?」「〇〇ってどういったものなんですか?」という1丁目1番地の質問をピュアにしてみたら得られるものがたくさんあったはずだ。

相手が真摯な方であるならば、質問の中身より興味を持ってくれたことに対ししっかり向き合ってくれるに違いない。そういったことを知った今では、形に捉われず心から気になったことをそのままぶつけるように心がけている。

【推測その3】疑問を持つ力を鍛えてきたから

市役所時代にさまざまな研修を受ける機会があった。以前は講師が話した内容の要点をメモする程度だったのだが、よほど面白かった話以外身になってないと感じることがあった。それ以降は講師の話したことではなく、話に対して自分が思ったことをメモするようにした。これは僕にとってなかなか良い頭の体操になって、単なる受け身の研修から頭の中で双方向の研修に変わり、頭にスッと入るようになった。

肯定的な時もあれば、「この点は僕は違うと思う」といったような発想もメモすることで質問に繋がったりもした。

こういった経験が合わさって、今ではピュアに質問をできるようになった。妻はそういった僕の姿勢を見て「質問力が高い」と言ってくれたのではないかと思う。

いつかプロの記者の方と出会ったら、質問のノウハウを聞いてみたい。プロとしてのかなりのテクニックや想いがあるに違いない。