くせっけデザインのブログ

くせっけの人に幸あれ。

ただ受け止めてくれる大人がいる頼もしさ

社会人になってから現在にかけて、幸運なことに多くの「恩師」と呼びたくなる方と出会ってきた。

そのような方々は、年齢が10も20も離れているにも関わらず、対等な立場で対話してくださり、時には厳しいことを伝えてくれる方が多かったように思う。

「恩師」というと上下関係がはっきりした関係性の中で人生の道しるべを与えてくれる方といったイメージがあるかもしれないが、僕の場合、特に印象に残っているのは「ただ話を聞いてくれた大人」だ。

先日書いた記事でテーマにした方が代表的だ。

kusekke-design.hatenablog.com

20代前半から半ばにかけて、仕事やプライベートに感じてモヤモヤすることが多かった。これは僕だけでなく多くの方がそうだと思うが、社会に揉まれて理不尽さやナンセンスなものにも触れ、それでも納得しきれない若さ特有の感情があった(今もあまり変わってないが)。

そんな正確に言葉にすることもできなかったモヤモヤを何時間でも受け止めて、同じ熱量で向き合ってくれた大人がいて、5年ほど経った今あらためて強い感謝を感じている。

「受け止めてくれる大人が一人でもいる」という状況は僕の大きなエネルギー源になっていた。両親にも同僚にも言いにくい話ができる、いわゆるナナメの関係だった。

振り返るきっかけとなったのは半年前に出会った二十代半ばの女の子だ。今では妻と3人でよく遊ぶ友人のような関係になっているその方はスケールの大きな夢を語り、窮屈な現状にもがきながらも行動をしている。フリーランスの僕は偉そうに道しるべを示すことはできず、ただ真剣に受け止めることしかできないと思った。

その方から、まさに受け止めてくれること自体を感謝され、そういえば自分にもこういう瞬間があったことを思い出したのだ。

無意識ながらも恩師の姿勢が身に付いていたことに少し嬉しくなった。

恩師の皆さんからはまだまだ一方的にプレゼントを貰っている状態だ。恩返しできたと胸を張れる状況ではない。僕にできることはちっぽけながら、頂いた沢山のプレゼントを次世代に恩送りし続けていきたい。