くせっけデザインのブログ

くせっけの人に幸あれ。

完全無償のボランティアについて思ったこと

先日、知り合いに誘われてとあるイベントにボランティアスタッフとして参加した。

構成メンバーは20名くらい。ビジネスとして主催している3〜40代の数名と残りは主に大学生のボランティア。

参加してみて、「完全ボランティア」のあり方に感じることがあった。

まず、自分の中で「完全ボランティア」とは何を意味するのかがわかった。僕はフリーランスになってから平日と休日の線引きや仕事と遊びの線引きはなくなっていて、直接お金にならない関わりやお手続いにも何度も参加してきた。

お金にならなくても参加することでワクワクしたり視座が高まったり、得られるつながりやノウハウが財産になると感じられるものは「完全ボランティア」とは思わないということだ。

少し嫌な言い方をすると、お金以外に得るものがあるということ。お金以外の収入とお金の収入のバランスを見ながら時間をコントロールしていくのがフリーランス的な面白さだと感じる。

そういう意味では上に書いたイベントは僕にとって「完全ボランティア」だった。

これは誰に対しても意義のないイベントだった訳ではなく、場の緩やかさが学生ボランティアの皆さんにとって心地よいコミュニティになっていたから、たまたま僕の価値観やステージに合わなかっただけだ。誰にとっても意味のないものはない。

場に対する空気感の察知は得意だから序盤からピンときていたが、誘われた都合うまく離脱できずにいた(参加頻度は下げた)。

よくボランティアについて参加しておきながら「ブラック」「やりがい搾取」と言う人がいるが、気持ちが理解できなかった。このような話題が上がると、すぐ報酬の有無の話になるが、そこに本質はないと思う。

報酬の有無に関わらず、自分にとって得られるもの(その時点で言語化できていなくても)があるかどうか。これがボランティアに参加する上で一番大切だと思う。つながりが得られたり、単に居心地がよいというのも人によっては大きな価値だ。

自分にとって得るものがないのに気を遣って参加し続けるとモヤモヤして双方にとって良くないので、うまく離脱するのがいい。

前提として僕はボランティアは素晴らしいことだと思っているし、もっと母数が増えるべきだと思う。参加にあたっては上記のポイントを運営側も参加側がそれぞれ意識して選択し合うことができれば、もっとさまざまな場所で素晴らしい出会いや活動が生まれると思う。