くせっけデザインのブログ

くせっけの人に幸あれ。

スキル0で挑んだパラアート展プロデュース。ついに来週開催。

 

フリーランス初仕事

フリーランスになった直後に不思議なご縁でチャレンジさせてもらうことになった、墨田区主催のパラアート展プロデュースのお仕事。

長かったようにも短かったようにも感じる準備期間も佳境となり、来週開催される。

パラアート展について

すみだスマイルフェスティバル2023アート展
墨田区障害者週間イベント)
12月6(水)〜8(金)・10日(日)
10〜15時@墨田区役所ギャラリー

僕は展示構成、作品出展事業者・学校とのコミュニケーション、グラフィックデザイン、スタッフの手配を担当した。市役所でしか働いたことのない僕はアートの実務に関わるのは初めてだ。

プロジェクト型の仕事を初体験

メンバーとのコミュニケーション、スケジュールや労力のコントロールなど、開催前の現時点でも振り返ると改善点はいくつもあるが、アートの知識がない中でいろんな方にサポートいただきながら準備を進めることができた。新しく得た知識とこれまでの経験が掛け算的に活かされたと思う。

特に、市役所時代にお世話になったアーティストの方にサポートを求め、また一緒に働ける機会に恵まれたことは僕の中でもとても大きな意味があった。価値観の合う方とよいものを作ることは、フリーランスになってやりたいことの一つだった。

プレッシャーを感じながらも楽しむ気持ちは常にあって、その遊び心がアート展のクオリティを上げることに繋がっていたら、これ以上ない幸せだ。

僕のやりたいことと今回の仕事

思えば市役所を辞めて無職になった期間、自分の軸を求めて設定した行動指針『人間らしさをデザインする』を具現化したような仕事を受けさせていただいた今回。

その人の個性だったり、ありのままであることを表現する場を用意することに注力した。

作品を出展される方々は墨田区内の障害者支援施設の方や特別支援級のお子さんだ。中には、ご自身が表現したものが「アート」なのかどうか迷いや気恥ずかしさを感じる方もいたと思う。

それでもこのプロジェクトの序盤で施設の関係者の方々の会合に出席させていただいた際、心の底から出た言葉は、

「アートって聞くと小難しいイメージがあるし、僕も正直アートってなんだかわからない。」

「だけど楽しんで描いたものだったり、つい習慣で描いたものなどからその人の想いが届いてくる。」

「そういったものは全て価値があるので出品してほしい。コピー用紙の裏に描いたような作品でも歓迎。」

と、とにかく関係者の方に対し出品のハードルを下げてもらえるよう気持ちを込めた。それがどの程度伝わったかは不明だし、区役所の職員の方の頑張りのおかげだが、当初の不安を一掃するかのように約60点の作品が集まった。

どれも、思わず笑顔が溢れてしまうような作品ばかりだ。墨田区役所の立派なギャラリーが来週、これらの作品で埋まることが楽しみで仕方がない。

現時点でも、「パラアート展を企画している」という意識は少ないかもしれない。

集まった作品を見たら、表現する楽しさや豊かさはボーダレスであることをひしひしと感じて、そこにどんなカテゴライズが必要だろうか。と思ったからだ。

ご都合が合う方はぜひ遊びに来ていただけると嬉しいです。

フリーランス初仕事が、これまでお世話になった方をお招きできる場にもなることにも、これ以上ない喜びを感じている。

緑色のトイレットペーパーでトイレライフに華

すごく些細なネタ。

我が家のトイレには飾りっ気がない。

カレンダーや絵を貼っているわけでも
ないし、花瓶を置いているわけでもない。

ここ数年は心の底から気に入り
かつ作り手や売り手の方との
コミュニケーションが楽しめるような
モノしか買わない癖が付いし、
そのようなピンとくるモノはリビングなど
主要な部屋にラインナップされるので、
トイレの優先度は低く、入居三年経った
今でも素の状態のままだった。

先週、ふと、
「緑色のトイレットペーパーなんか
あるとアクセントになっていいかもなぁ」
と思った。ワンポイント的に映えるのでは
ないかと思ったのだ。

意識すれば見つかるもので、
昨日、スーパーで買い物をしていたら
緑色のトイレットペーパーが見つかった。

それも、視覚的に見つけた訳ではない。
コーナーの一角を通り過ぎるだけで気になる
レベルのお茶の匂いが鼻に届いたのだ。
そのトイレットペーパーは色が付いている
だけでなく、抹茶の香りがする
トイレットペーパーなのだ。
(それもパッケージの上から強烈に
感じるほどの。)

いつも使うお安いものとあまり金額も
変わらなかったので、「面白い!」と
思い購入。

さっそく使い始めて、これがまた良い。

視覚的なアクセントにもなったし、
何よりトイレの中に抹茶の香りが充満。
リラックス効果三割り増しといった感じ。
本格的な抹茶の匂いなので、甘ったるさが
あったり嫌になる雰囲気もない。

見た目はできれば無地がよかったが、
そこまで主張する柄ではないのでOK。

もしかしたらずっと前から売られて
いたのかもしれないが、良き出会いだった。
次もリピートしたい。

社会人大学生の喜び。「ハードルを与えられる」ことの尊さ

大学の授業は毎回全身全霊で取り組むので、
受講後はヘトヘトになる。

昨年から京都芸術大学の通信学部で
グラフィックデザインを学んでいる。
趣味と実益を兼ねて、30歳にして初めて
大学に通い始めた。

通信の大学というとほとんどの時間を
一人で黙々と勉強することになりそうな
イメージだが、京都芸大は適度に
スクーリングがあり現役のデザイナーから
イカロリーな指導を受けることが
できるので、身になるだけでなく
精神的な高揚にも繋がっている。

直近ではオンラインにて
アニメーション制作の授業を受けた。

After Effectsというソフトを使い、
最終的には受講者がそれぞれ30秒程度の
アニメーションを制作し提出するという内容。
見慣れないソフトの操作に戸惑いながらも
なんとか課題を完成することができた。

授業は土日に行われるのだが、
ここ最近たびたび仕事のピークと
重なることが多いので何度も
「キャンセてしまおうか・・・」と
魔が刺した。

それでも毎回受講して
よかったという感想で終わる。

大学に通って特に感じるのは、
「ハードルを与えてもららうこと」は
とても喜ばしいということだ。

すごく受け身のように聞こえる
かもしれないが、普段自分からはなかなか
チャレンジしない、もしくはしたいけど
腰が重いようなものごとに向き合える
機会を得られる価値は大きなものだと感じる。

上記のデザインソフトに関しても
仕事にしているならともかく、
自分からまるまる2日間
向き合う時間を取ることはしないし、
スポーツ選手のように自らリミットを
課すこともなかなか難しい。

そんな自分でもハードルを与えてもらうことで
思考が深まる実感を得ている。
これこそが学ぶことの楽しみだと
現時点では感じている。

フリーランスになって以降実感しているが、
「やらされてみるとできる」ことは案外多い。

やってこなかったことはできない
という具合に自分で無意識のうちに
心理的な壁を作っていたことが
多かったのだと気付いた。
無意識にチャレンジする機会を
失うのは残念なことだ。

応用できない経験なんてないんだなと
確信を持てるようになりつつある。

ハードルを与えてもらい、
ヒーヒー言いながら取り組む。
それにより能力が積み上がっているという
感覚こそが社会人大学生の喜びなのかも
しれないなと思う。
仕事をしていれば、学んだことを
すぐに実践するチャンスに溢れている。

だから、ハードルを与えてもらうことは尊い

特にそれが自分に関心のある分野なら尚更だ。

キャパオーバーの恐怖にKOされた体験

10月の第4週は、スマホのカレンダーアプリを確認するだけで苦笑いするほど予定がぎっしりと詰まっていた。

並行して関わっている4種類の仕事と大学の課題のピークがこれでもかとうま〜く重なり、「乗り切れるかな・・・」と戦々恐々した。

これはフリーランスになって初めての体験だったし、正社員時代にはあまり体験できないできごとだった。

正社員であれば多くの場合、個人に課せられる負担はコントロールされるし、社員としても調整しやすいかもしれない。

一方でフリーランスの場合は、別々の組織から仕事を受けるため、発注側がフリーランスの抱えている他の仕事を想像する余地はない。だからこそフリーランス自身がキャパやスケジュールに合わせてコントロールしなければいけないのだが、僕の読みが甘かった。

しかも、どちらかと言うとキャパオーバーした事実以上に、「キャパオーバーになるんじゃないか」という不安に必要以上にビビってしまった。

その影響か、忙しい一週間が始まった初日に風邪を引いてしまった。申し訳ないことに一件アポを断り必死に療養したためその日のうちに元気になったが、意気込んで臨んだ出鼻を挫かれる形になった。

情けないことに、想像上のキャパオーバーにKOされてしまったのだ。

それでも、風邪を引いたことで逆に力を抜くことができたのか、翌日から割と冷静になりドキドキしてたほどのキャパオーバー状態にはならなかった。

本編が予告編よりもあっさりしていたような感覚になった。

この経験を通じて、見事に予定が重なることもあるからスケジュールの調整を上手くやろうという発想と、「なんとかなるから恐れずに楽しんで乗り切ろう」という思考の2つを学ぶことができた。

当たり前にできている方にとっては当たり前のことでも、まだまだできていないことがあるなぁと実感した。日進月歩していこう。

ほろ酔いのおじいさまに絡まれる率の高さを誇りに思う。

お仕事で関わっている会社のすぐ近くにこぢんまりした居酒屋さんがあり、リーズナブルなランチを提供してくれている。

お肉をメインとしたランチで、お安いのにボリュームがあるのでお腹が空いた時はよく利用している。

オフィス街でもなく、まさに下町の住宅街というエリアであるということと、本来は居酒屋さんということもあり、ランチの時間は近所のサラリーマンと平日のお昼からお酒を飲んでいるおじさまで半々といった感じだ。

このお店に行くと、僕はほろ酔い気分の楽しそうなおじいさまによ〜く絡まれる。

昨日は午前中の作業で身体が冷えたので薄手のコートを着ながら食事をしていたのだが、「そこのコートの先輩」という謎の声かけをされ、振り向くとアルコールを嗜んだニコニコしたおじいさまが僕を見つめていた。

(この世代の方は人を「先輩」「先生」「大統領」と呼びがちだ笑)

人によっては嫌な気分になりそうなこんなシチュエーション、僕は結構好きだったりする。昨日もそこから10分ほど食事をしながら(本当に)中身の無い会話を楽しんだ。

おじいさま「先輩(僕)、米津歌いそうだな」
僕「よく米津知ってますね。昨日知ったんですか?笑」

などなど言葉でちょっかいを出し合って笑う。

最後は陽気な笑顔で「またね」と言われ、先に店を出た僕は笑顔で外に出た。

なぜこういったシチュエーションが楽しめるかというと、おじいさまも誰かれ構わず声をかけている訳ではないと思うからだ。

僕と店員さんとの会話の様子や僕の姿を見て、「こいつならいい反応してくれるんじゃないか?」と思ったから声をかけてくれているのだと思っている。

(本当はどうかわからないけど笑)

僕はリアクションが大きく、表情に出るタイプだ。それは1人のときも割とそう。

前日も森美術館から夕方の富士山を見ていたらおばあさまに「綺麗に見えるわねぇ」と話しかけられ、些細な会話をした。きっと僕が無意識に富士山をニコニコしながら見ていたのかもしれない。

周囲の人に知らず知らずに安心感を与えていたり、ドアをオープンしている印象を持ってもらえているとこはとてもポジティブに捉えている。何を考えているかわからなかったり、取っ付きにくいと思われるよりは嬉しいことだ。

居酒屋でのランチに話を戻す。

僕に声をかけてきたおじいさまは40代くらいの息子さんと二人でお酒を飲んでいた。飄々としたおじいさまとは対照的に年金暮らしの父親を心配している息子さん。

おじいさまが僕に話しかけるたびに「やめなよ」とツッコミを入れる。その二人のギャップについ笑いが込み上げてきてしまった。

僕も、自分の父親が他のお客さんに声をかけ始めたら止めるだろうなぁと笑

息子さんの真面目な話題をかいくぐるように僕に話しかけるおじいさま。おじいさまなりに、場を和ませたかった意図も見えてユニークな気持ちになった。美味しいランチに付加価値が乗ったできごとだった。

おじいさまの「またね」の後に息子さんの「すみませんでした・・・」が付いてきた。

ふふ、実は楽しんでましたよと心で返事をする僕。

偶発的なおしゃべり大歓迎。いっときのコミュニケーションでも人は明るくなれると思ってるから。

こんなもじゃもじゃ頭で若者ぶっている僕でも歳の離れた人から絡まれる率が高いことを僕は誇りに思う。

ほろ酔いのおじいさまに絡まれる率の高さを誇りに思う。

お仕事で関わっている会社のすぐ近くにこぢんまりした居酒屋さんがあり、リーズナブルなランチを提供してくれている。

お肉をメインとしたランチで、お安いのにボリュームがあるのでお腹が空いた時はよく利用している。

オフィス街でもなく、まさに下町の住宅街というエリアであるということと、本来は居酒屋さんということもあり、ランチの時間は近所のサラリーマンと平日のお昼からお酒を飲んでいるおじさまで半々といった感じだ。

このお店に行くと、僕はほろ酔い気分の楽しそうなおじいさまによ〜く絡まれる。

昨日は午前中の作業で身体が冷えたので薄手のコートを着ながら食事をしていたのだが、「そこのコートの先輩」という謎の声かけをされ、振り向くとアルコールを嗜んだニコニコしたおじいさまが僕を見つめていた。

(この世代の方は人を「先輩」「先生」「大統領」と呼びがちだ笑)

人によっては嫌な気分になりそうなこんなシチュエーション、僕は結構好きだったりする。昨日もそこから10分ほど食事をしながら(本当に)中身の無い会話を楽しんだ。

おじいさま「先輩(僕)、米津歌いそうだな」
僕「よく米津知ってますね。昨日知ったんですか?笑」

などなど言葉でちょっかいを出し合って笑う。

最後は陽気な笑顔で「またね」と言われ、先に店を出た僕は笑顔で外に出た。

なぜこういったシチュエーションが楽しめるかというと、おじいさまも誰かれ構わず声をかけている訳ではないと思うからだ。

僕と店員さんとの会話の様子や僕の姿を見て、「こいつならいい反応してくれるんじゃないか?」と思ったから声をかけてくれているのだと思っている。

(本当はどうかわからないけど笑)

僕はリアクションが大きく、表情に出るタイプだ。それは1人のときも割とそう。

前日も森美術館から夕方の富士山を見ていたらおばあさまに「綺麗に見えるわねぇ」と話しかけられ、些細な会話をした。きっと僕が無意識に富士山をニコニコしながら見ていたのかもしれない。

周囲の人に知らず知らずに安心感を与えていたり、ドアをオープンしている印象を持ってもらえているとこはとてもポジティブに捉えている。何を考えているかわからなかったり、取っ付きにくいと思われるよりは嬉しいことだ。

居酒屋でのランチに話を戻す。

僕に声をかけてきたおじいさまは40代くらいの息子さんと二人でお酒を飲んでいた。飄々としたおじいさまとは対照的に年金暮らしの父親を心配している息子さん。

おじいさまが僕に話しかけるたびに「やめなよ」とツッコミを入れる。その二人のギャップについ笑いが込み上げてきてしまった。

僕も、自分の父親が他のお客さんに声をかけ始めたら止めるだろうなぁと笑

息子さんの真面目な話題をかいくぐるように僕に話しかけるおじいさま。おじいさまなりに、場を和ませたかった意図も見えてユニークな気持ちになった。美味しいランチに付加価値が乗ったできごとだった。

おじいさまの「またね」の後に息子さんの「すみませんでした・・・」が付いてきた。

ふふ、実は楽しんでましたよと心で返事をする僕。

偶発的なおしゃべり大歓迎。いっときのコミュニケーションでも人は明るくなれると思ってるから。

こんなもじゃもじゃ頭で若者ぶっている僕でも歳の離れた人から絡まれる率が高いことを僕は誇りに思う。

上野で動物を見ずにゴリラのトークイベントに参加して感動

動物園の隠れた楽しみ方

動物園の一味違った楽しみ方をご存知だろうか。

レジャー施設のイメージが強い動物園は、同時に動物の繁殖や保全に関する研究、自然や環境問題に関する普及啓発なども行っている。

普及啓発活動の一部として、各地の動物園でトークイベントがたびたび開催されている。動物の餌やり体験やお散歩タイムなど、通常の展示の延長にあるイベントほど目立たないが、HPや各種SNSで情報を掴むことができる。

僕は北は旭山動物園、南は長崎バイオパークまで回っている動物園好きを自負しているが、こういったイベントに参加したことはなかった。興味のあるテーマがあれば参加したいな〜と思っていた矢先、ゴリラに焦点を当てたイベントが上野動物園で行われることを知りすぐに申し込み、当選したので参加してきた。

30分オーバーの熱いトークイベントで語られたこと

幼い頃から何度も通った上野動物園で行われたトークイベント『ゴリラと働く-飼育係と研究者からのメッセージ』。園内のバックヤード感溢れる施設で3時間に渡り行われたこのイベントは、熱気に溢れ、示唆に富んだ内容だった。

会場には抽選で選ばれた80名の参加者(ほぼ動物好きの大人)。開始前から期待感で充満していた。その期待通り、海外青年協力隊の経験を持ち現在上野動物園でゴリラ飼育を担当している仲村賢さんのお話に引き込まれて、心を揺さぶられた。

仲村さんからは、母親ゴリラの育児放棄により人口飼育することとなったゴリラ「スモモ」の成長と群れに復帰するまでの道のりが語られた。

ゴリラはとても頭が良いこととトレードオフで非常に心が繊細な生き物らしい。人口飼育で9ヶ月半育てたゴリラを群れに戻すことは、群れのゴリラ間の関係性にインパクトを与えることになる。

そのため、人口飼育フェーズを終えたスモモを初めに母親ゴリラと少しずつ接触させるのだが、まずはガラス越しの接触、次に柵越しの接触、母親ゴリラとの関係性が良好と確認できたらボスゴリラと接触させるなど段階を踏んだ試行錯誤の連続だった。

一歩手順を間違えればスモモの命に関わる問題のため、非常に慎重に進められたが、最終的には群れに復帰することができた。この時の飼育員の方々の安堵感と高揚感は相当なものであったことが仲村さんの語り口の熱さから推測できた。

仲村さんが撮影した貴重な映像付きでその様子が語られ、無事群れに戻るシーンでは涙を流す方もいたほどだった。

予想を遥かに超えた飼育員さんのスゴさ


仲村さんのお話を聞き、とても驚いたことは飼育員の方に求められるインテリジェンスな側面と、氏のスケールの大きさだ。

大都会の中にある上野動物園。そんな中でもいかに自然に近い環境で動物を飼育するかという試行錯誤を日々されている。飼育下のゴリラはムキムキマッチョな見た目だが、自然のゴリラは食物繊維を大量に摂取しており、体内にガスが溜まっているため丸っこく見える。その差を軽減するためにグラム単位で餌の種類を調合し、体重や糞の変化を記録する。その資料の細かさは研究者のようだった。

また、そういった目の前の繊細な仕事の延長に大きなスケールを描いている方であった。最終的には動物園でゴリラの繁殖をサポートして絶滅を食い止めたいが、野生のゴリラがいない日本ではハードルが高い。それでもゴリラは人気の動物なので環境教育のシンボルとしてはうってつけだと言う。

ゴリラの生息地でスマホに使用されるレアメタルの採掘が行われた住処が脅かされていることを伝えるため、国内の動物園が連携してスマホ回収イベントを仕掛けた。保全に関する直接的なアクションは難しいが、そういった活動により、遠い地で起きている現実の認知を広め、人の行動変容につなげたいと熱く語る。

収穫は「新たな視点」

ここまで視座の高い飼育員の方がいらっしゃるとは思っておらず、衝撃を受けた。これまでとは動物園に対する見方そのものが変わってしまいそうな体験だった。

僕は幼い頃、動物園の飼育係に憧れていた時期があったので、大人になった今その裏側の苦労を知れたら興味深いなと思い参加したが、それどころか地球の裏側にまで想いを馳せることになるとは思わなかった。またひとつ視点が増えた気がして参加してよかったと思うし、次回のトークイベントもエントリーしたいとと思った。

長年動物園に足を運んできたが、ここまで奥深い楽しみ方があるとは予想外。興味を持たれた方がいたら、ぜひ参加してみてはいかがだろうか。

新しい視点にきっと感動するはずだ。